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【プロジェクトミュー】NS-C(エヌエス・シー) ミツビシ パジェロ PAJERO用 V98W (LONG BODY)系 リヤブレーキパッド 品番:R597

ひょうたん翠

2017.12.30 Saturday

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2016.04.19 Tuesday

夜の夢こそまこと。



この頃、オモシロイようなユメを見ることが多い。
オモシロイ、というのは「ワッハッハ」と笑ってしまうような楽しいユメ、ということではなく なんと言いますか、印象深いユメ、ということであって
多くは怖いようなユメである。
なかには楽しいようなユメもあるが たいていは見ていて疲れるようなハァドな展開のユメである。

あんまりそういうオモシロイようなユメをよく見るので(そろそろシヌのかな?)と思ったりするくらいなのであるが
トシをとったな、、と思うのは、そのような怖いユメをみても、ユメのなかでは怖がっているのだが、目が覚めてまでその怖さにやられるようなことはなくなったのである。
それなので、目覚めてからも、そのユメの怖さやドロドロさを思い返してじっくり吟味したりする50歳である。



ところで「ユメに色が付いているか?付いていないか?」というような話題をときどき耳にするのである。
「オンナノヒトの見るユメは色が付いているがオトコノヒトの見るユメはモノクロが多い」とか、そういうハナシであるが
あたしの場合は「色は付いているような気がする、、」というような具合でハッキリしない。
しかしそれは「真っ赤な血が噴き出した」というような場面を記憶しているから「付いている」と思うわけで
実際のところ、ふだんセカイを見ているようにユメでも色のついたセカイを見ているのか、となると「良く分かりません、、」という曖昧な感じである。









ところで あたしのユメのなかの風景に、うつくしいような風景は殆ど出てこない。
ごちゃごちゃ入り組んだ暗い路地であるとか 幽霊屋敷のような家であるとか 崩れかけたビルであるとか ユメのなかに現れる空間はたいていそんなような塩梅で
あたしがこのブログに載せたい写真は、どちらかといえば、あたしの現実世界ではなく、ユメの世界に近い写真なのかも知れないと思う。
そしてそちらの方がたぶん、ほんとうのあたしのセカイなのかも知れない。

江戸川乱歩が「現世は夢 夜の夢こそまこと」と言ったように。

2016.04.06 Wednesday

桜遊び。



はじめて桜という花を意識したのは小学校1年生のときである。
なぜ覚えているかと言ったら、その年は、桜の咲く頃に雪が降った。
お宮の参道の(とは言っても車1台とおるのがやっとの、のどかな田舎の小道である)両脇に植えられた桜の並木と、満開の桜にしんしんと降り積もる雪の景色を覚えているのである。

コドモはたいてい、手の届かないような高いところに咲く花には、さほど興味を示さない。
花と言ったら 205 1.9 GTI (エンジン:XU9JAZ) 20DK/20DKC 87~94 フロント用 ES エクストラスピード ES-2111597 ディクセル、じぶんの目線に近くて遊ぶことも出来る、タンポポなぞの野の花の方が親しいのである。
しかし満開の桜に雪が降り積もる光景は、母が「あれまぁきれいだねぇ。こんなのは滅多に見られない。4月の桜だもの。」といたく感激していたので、より一層ココロに残っているのである。



ところで桜も、散る頃になればコドモの注意を引くのである。
地面一面にはらはら散ったハート型の薄いピンクの花びらは、コドモにとって突然親しきものとなる。
その花びらを糸にとおした桜の首飾りづくりに夢中になったものであるが
何と言っても薄い薄い花びらである。
上手に通さないとすぐにやぶけてしまうし、刺せども刺せども長くならない。
たいていは首飾りどころか腕輪の長さにするのがせいぜいのところで根気は尽き果て、それでもまぁ、なんとか出来上がったものを母や近所のおばちゃんに手伝って貰い、手首に結わいたときの嬉しさは格別であった。

しかし、作るのに恐ろしく根気のいるこのブレスレットの寿命は一日持つか持たないか。
あっという間に萎れて汚くなってしまうのであるが
コドモはあまりそうしたことに未練を残さない。
桜と遊んだ、そのことだけでもう満足だったのかも知れない。



今は夜桜宴会をすることもなくなり(寒くて御免である)
桜と遊ぶといったら、もっぱらうつくしさとその生命力に圧倒され、写真を撮るだけであるが



それがここ数年の、春の楽しみになっている。







死ぬまで 春は桜と遊びたし。

2016.04.02 Saturday

御免でござる。



コドモの頃 あたしの育った場所にはたくさんの生きものがいて
そこは決して「人間だけが中心」というようなセカイではなく
草木もカエルも鳥も虫たちも、それぞれの居場所でそれぞれの生を営んでいた。



ヒトの方も お金持ちからドビンボウのヒト、その里山で代々暮らしてきた地元の農家のヒトから会社勤めのヒト、スナックのホステスさん、コドモの頃は優等生だったそうだけれど、オトナになってから病気になって、ときどき道の真ん中に立って大演説を始めるオネエサン、夜逃げしてきたと言われている老夫婦、ほんとうにバラエティに富んだヒトたちが やはり他の生きものと同じように じぶんたちの居場所のなかでささやかに暮らしていた。

あたしは学校では、友だちは多かったがはみ出し気味の問題児で、集団生活ではシンドイ思いをすることも多かったが
家のある里山に帰って来れば大きな安心を感じることが出来た。
両親は厳しかったけれども 家で叱られても野山や近所のひとたちなぞの逃げ場が豊かにあった。



すべての生きものにそれぞれの居場所がある、という安心感くらい大切なものはないと思う。
それはそこから出てゆくという自由な意思を自ら持つことを許されることも含めて。

息苦しいのは御免でござる。



古い建物に植物、というような風景を見ると写真を撮りたくなる。
古びてゆく建物と植物の生命力、というようなコントラストが好きなのかもしれない。



もしも地球上に人類がいなくなったら 今と同じような花が咲き続けるのだろうか。
廃墟に咲く花を見るたびにそう思う。

ヒトが甲斐甲斐しく世話をしなければならぬようなもの、屋内でしか育たぬものは消えてゆくだろう。
けれども野の花は咲き続け、小鳥は鳴き、蝶は舞うであろう。



もしもこの世に人類がいなくなっても、まだそこに生命がある、と思うことは希望である。
そこからまた、人類のような生きものが 長いときを超えてあらわれるかもしれない。
何と言っても「この世に人類がいなかった」というときがあったのである。
今 P0510705 DIXCEL プレミアム ブレーキパッド フロント左右セット AUDI 200 QUATTRO 1985/1~1991/12 2.1/2.2 16V TURBO Fr.ATE、ヒトはこの世の王のような顔をしているけれども。



人類はこの世の王ではないぞ、と思う。


「本を買うなら、場所をとってしょうがないだろうから電子書籍にしたらいいのに」というのは、たいてい本を好きではないひとの謂いである、と思う。
「本という、モノじゃないとダメなんだ」と言うと「なぜ」という顔をする。
「本はやがてはボロボロになり消えてなくなる。だからいいんだ」というと、ちょっとイヤそうな顔になる。



話は変わるが CUSCO (クスコ) LSD type MZ スバル レガシィ アウトバック BRF 09.5 - 2way(1.5&2way) [LSD 684 K2]、あたしの勤めている職場は、いまどき珍しくお給料が手渡しである。
あたしが就職した30年前は まだ多くの職場がそうであったが
あたしは振り込みよりも手渡しで貰う方が好きである。
重たい小銭も現金で手渡されるのが、個人的には好きである。

今は、クレジットカードや電子マネーというものが普及して、お金もデータという、モノではないモノになって来ているが
このままだと現金というものも、やがてはこの世から消えてゆくのかも知れない。
音楽も、すでにレコードからCDに、そしてデータへと移り変わっているが
あたしはレコードという持ち重りのするものが、やはり一番好きであった。



「花も枯れるからいいのだ」なぞと言えば、ひねくれ者と思われるのがオチであるが
枯れぬ花にどんな魅力があるというのだろうか。

この世の花がすべて枯れず ヒトはいつまでも若くてうつくしい、となったら 枯れぬ花もうつくしいヒトも、その価値を失うであろう。



あたしたちのセカイは今、すべてにおいて「枯れぬもの、腐らぬもの、老いぬもの」そうした不死のような状態に価値を置き過ぎていて
ゆえに薄っぺらくなっているのではないか、というような気もするのである。



この世はモノのセカイなのである。
モノにしか魂は宿れないのである。

モノはやがて消滅し
花は枯れるからいいのです。
 

2016.03.20 Sunday

カレーとミソ。



その存在を思い出すと、幸福な気持ちになれる、というひとがあたしには何人かいる。
そのうちのひとりは澁澤龍彦さんであり、もうひとりは森茉莉さんであり まだまだいるのであるが
安西水丸さんもそのうちのひとりであることに、水丸さんが亡くなった後で気がついた。
生きておられるときには WinmaX STREET ATS NISSAN バネット,etc リアシュー用【品番S1148*1】型式C120(トラック) フロントディスク車 年式82.09-89.11、そんなに意識していなかったが
思えば、思い出すと幸福な気持ちになれるひと、は全員もうこの世のひとではないのである。

「死んだひとはみな完璧である」
そんなコトバをどこかで読んだ気がするが
すでにもう、この世のひとでないからこそ 、そのひとのセカイの全体像という庭のなかで、

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、幸福を感じられるのだろうと思う。
生きているひとではなかなかそうはゆかない。

ところで、あたしが「その存在を思い出すことで幸福になれるひと」は「こども時代の感覚を持ち続けたひと」に限る気がする。
そして「じぶんのセカイ」というものを、死後、他人もそのなかに入って遊べるくらいに豊かにつくり上げて行ったひとたち、なのだと思う。
安西水丸さんも、そのようなすごいひとのひとりだったのだろう、と思う。





ところで、水丸さんは「絶景だけが景色じゃない」と言われたらしいが
あたしはいわゆる絶景というものがあまり好きではない。
どちらかと言えば「絶景なぞドウでもいい」と思うのである。
絶景に感動したことがないのである。

どちらかといえば、地味の景色にココロ惹かれるのだ。



その他、水丸さんといえば、カレーを食べるたびに水丸さんの存在を思い出すのであるが 
それが一生続きそうな予感がするのである。
それも楽しいことなのだけど

うーーん 安西水丸って何者だったのだろう、と 深淵を覗くような気持ちで思うこの頃である。
ちょっと怖い。しかしそれがミソなのかもしれない。
うぬー。

2016.03.18 Friday

楽楽。



写真を撮るのはおもに通勤のときである。
あたしの場合(サァー 写真を撮りに行くぞお)なぞと気張って出かけて 気にいるような写真が撮れた試しがなく
そしてまた、いい景色の場所に行ったからと言って、気にいるような写真が撮れるわけでももちろんなく
そしてあれです。写真の技術なぞは殆どないド素人なので 頼りはおもに好きなような被写体を見つけることであり
お天気や光線の加減であり 季節の変化だったりするわけで
つまりあたしの写真は「絶対他力の写真」なのである。
そしてそれが、楽しいのですね。
何と言っても、カシャ、と写すだけなのであるから それで面白いのだから こんなに楽で楽しいこともない。
楽楽。







この町にはまだまだ いいような被写体がたくさんあるようです。嬉。

2016.03.17 Thursday

草木ラヴ。



ご近所の、ミモザの木がたくさんあるお宅のミモザが降るように咲いていて
それを見るのがここのところの楽しみのひとつなのだが
あたしは植物全般がたいへんに好きである。

思い返すに 植物とあたしとの出会いに最初の手引きをしてくれたのは母であった。
シロツメクサの冠づくり、笹の葉の船、数珠玉や桜の花びらのネックレス、アカマンマでのおままごと、
草笛のいろいろ。
母が教えてくれた植物での遊びは どれもこれも懐かしく幸福な思い出であるが
6歳のときに八王子の里山に転居したことが さらに植物と親しむきっかけとなった。
なんといってもそこは、辺り一面植物だらけの場所だったのである。
家の庭はそのまま広い田んぼにつながっていて 春は一面のレンゲ畑があらわれる。
田んぼを耕すときにレンゲをそのまま一緒に耕すと肥料になるという、現実的な理由で咲かせられているレンゲであったが
そのうつくしい光景にはじめて出会ったときの喜びは忘れられない。
幼児の頃のそのような植物との出会いは、あたしにとってとても幸福なことだったと思う。
それからずっと、あたしの幸福感の多くのぶぶんは植物という存在に支えられているのである。
植物の存在なくしてはとても生きられぬ。



で、コドモの頃も今も 何月になれば近所のどこに何の花が咲くか、どこにどのような木があるか、というような植物地図があたしの頭のなかには出来上がっていて
そのことによって住んでいる土地に対する愛着もずずん 【Paul Yaffe】ロードグライド ターンシグナル・エリミネーター ブラック、

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、と増すのであるが
何といってもそろそろ芽吹きの季節で
植物好きにとっては日々が祭りのような時期である。
アアー 草木ラヴ。
 

2016.03.14 Monday

色は宿る。



色彩が あちらのセカイに消えゆこうとしている。

音楽が 生命が 生まれたり消えたりしているあの場所に。

モノよりも色の方が先に褪せてゆくということは

モノと色とは一体ではなく そしてまた一体になることはなく 色はモノに宿っているのだナ。

そんなことを考えつつ更けゆく3月の夜でよ。
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