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過去の事績に結びつきながら、「いま」において歴史を考える
対談 鹿島徹×大澤真幸

 ■哲学者の鹿島徹氏が、『危機における歴史の思考――哲学と歴史のダイアローグ』(響文社)を上梓した。ヴァルター・ベンヤミンを参照しながら、「いま」において哲学とは何か、歴史とは何かを思考することの意味を鋭く、そして深く問うた論集である。本書の刊行を記念して、鹿島氏と、『〈世界史〉の哲学』シリーズが刊行中の大澤真幸氏との公開対談が行われた。その模様をここに採録する。(7月19日、東京・ジュンク堂書店池袋本店にて)

  

 鹿島 今日は、ぼくの『危機における歴史の思考』と、大澤さんの既刊五冊のプロジェクト『〈世界史〉の哲学』とが重なるような仕方で議論ができればいいなと思って、タイトルを「危機における世界史の思考」とさせていただきました。

 ここでいう「世界史」とはもちろん教科書的なそれではなく、現在の日本社会の様々な危機を規定している、世界規模での歴史動向のことです。それをぼくの本では「新自由主義的グローバリゼーション」と呼びました。資本主義の成立をその起源からたどる大澤さんとはスケールは違いますが、資本主義の現状を捉え、かつそれを何がしかの仕方で克服するということでは問題意識が共通していると思います。

 他方、「危機」にも様々あります。つい先日、「残業代ゼロ法案」といわれる「高度プロフェッショナル制度」が連合の条件つき容認のもとに、秋の国会で成立する見通しとなりました(本対談終了後、連合はこの容認を見送ることになりましたが)。さらには二〇一三年に改正された労働契約法に基づいて、来年からいよいよ六〇歳の定年まで非正規で働き続ける人が圧倒的に多くなるという状況になりましたし、労働基準法の改正によって繁忙期には一〇〇時間未満までの残業を認めるという法案が準備されています。

 こうした日本社会の現状を見ると、大澤さんが『可能なる革命』(太田出版)で――ぼくらは資本主義が終わるとはとても想像できない、世界が終わるほうがよっぽど想像できる、でもこのままの状況が続いていいはずがない、とてもたまらない、こういうときにこそ「思想」というものが意味を持つのだ――と書かれていたことを思い出します。これまで労働者に保障してきた雇用、社会福祉、賃金などを食い潰す仕方で、資本主義が延命しようとしている。今日はこれをメインの「危機」と考えたらいいかもしれません。

 大澤 まず、鹿島さんとぼくは、窮極的には同じところを狙っていると確かに感じます。哲学と歴史のダイアローグをやろうということです。

 そして、現状は、将棋でいえば「投了」してもよいような状況ではないかと思っています。日本に限らずグローバルに見てもね。みんな、「これしかない」という手を打っている。しかし、それが明るい未来につながっていない。例えばいま鹿島さんが言ってくれた労働に関する法律も、一つひとつを見たら細かな問題に見えるかもしれないけど、大きい目で見てみましょう。資本主義は昔から、何度も何度も、その「危機」がいわれてきています。その度に資本主義は巧みにそれを乗り越えてきました。つまり延命措置をとってきている。いまのやり方は、資本主義を延命させるために獲得してきたものを、むしろ捨てる作戦です。例えば労働者と資本家の間に厳しい対立が出てくるのは一九世紀からのことですが、その対立を緩和すること(簡単に解雇できないようにするとか)で資本主義は生き延びてきました。ここまで来たら、今度は逆の作戦です。労働者を解雇しやすくするとか、保障を薄くするとかです。これは、従来の延命措置とは違って、非常に危機的だと思います。

 資本主義がダメになったとしても、かつてだったら、例えば社会主義のような資本主義以外のオルタナティヴがあるという想像力が働いていました。しかしいまは、「資本主義以外のゲームがあるの?」という感じですよね。つまり、人類が終わるときまで資本主義をやるしかないんじゃないかと、みんな思わざるをえない。資本主義を延命させている人たちも、早晩「詰む」ことになってしまうのではないかとしか思えない状況になっている。

 そこでどうするか。ぼくにはメインの問題意識としてそういうものがあって、それが歴史と結びついているんです。歴史学という学問は過去にあったことを記述しますが、ぼくは、窮極的には、過去に「あった」ことについて知りたいわけではない。「ありえたかもしれない」ことについて知りたいんです。それは、クレオパトラの鼻がどうしたみたいな話ではありません。例えば、「いまから考えてみると、日本はなんであんなバカな戦争をしたんだろう」と、ほとんどの人は思っていますよね。当時の政治家や軍人にしてみれば「これしかない」という手を打ち続けていたはずなのに、でもその結果、詰んじゃった。やる気もないし勝てるはずもなかったアメリカと戦争せざるをえないことになった。それでも、「何とかなるかな」と思っているうちに最悪の事態になってしまった。

 しかし、いまから考えれば、「これしかない」わけではない。例えば、リットン調査団が入って勧告が出たとき、日本は満州国を手放す勇気さえあれば、もっとずっとマシだったとつくづく思います。しかしそのとき、「満州国を手放すなんて日本の生命線に関わる」「とんでもない、ありえない」と日本の軍人・政治家は思った。結果的には、日本は戦争に負けて、満州国などなくなってしまう。このことを思えば、リットン調査団の報告があった一九三一年の段階で満州国を手放す選択肢は充分にありえたにもかかわらず、その可能性には「後から」気づくわけです。つまりそのときには「無茶を言うなよ」という選択肢を取ることも、充分にありえた。「これしかない」という選択肢に対してでも、他なる選択肢がありえたことが見えてくる。おそらく、同じことがいまのわれわれにもいえるでしょう。「とんでもない」と思える選択肢のなかに、いま取れる選択があるかもしれない。詰みそうな状況から前に進めるかもしれない。いまの状況のなかで可能な選択肢を考えることと、歴史のなかにありえたかもしれない選択肢を見つめることとは、同じことの二面性です。

 鹿島 『〈世界史〉の哲学』は、ミステリー風に謎が出てきて、それを解くとまた謎が出てくるので、読んでいてワクワクしますね。しかし、と思うんですが、謎が解かれるということは、「こうなって当然だったんだ」という印象を読者としては持たざるをえない。大澤さんの語りが巧みなので、「ああ、やっぱり歴史はこうやって進んできたんだな」と思ってしまう面があります。つまり、いま述べられたような「ありえた可能性」に焦点が本当に当たっているのかな、ということなんですけれど、いかがなんでしょうか。

 大澤 一番重要なのは、当たり前に見えていたことが謎に見えてくるということだと思います。ぼくの狙いは、謎を解くことよりも、それぞれの瞬間瞬間に謎があることに気づいてもらいたいということです。

 『〈世界史〉の哲学』のいちばん重要なハイライトは、キリストの死です。キリストが十字架の上で死んだということは、特定の事件としては、おそらく世界史で最も大きい出来事だと思います。長いスパンで起きたことには、新石器革命とか産業革命とか、それに匹敵することがあったということになるかもしれませんが、特定の出来事としては、キリストの死に勝る大きな影響力を持ったことはない。ぼくは、キリストの死という出来事には二つの面があると思っています。キリストは死んで、復活したと信じられています。「キリストが死んだ」ことと、「キリストが復活した」ことは、別なことです。しかし大きく言えば、歴史のなかで「効いて」いるのはキリストが「復活」したことのほうです。ただ、ぼくは、「死んだ」ことのほうがよっぽど衝撃があったと思っているんです。煎じつめて言えば、近代という社会はキリスト教に大きく規定されています。キリスト教がなければ近代はなかった。そのキリスト教のなかには、二つの可能性が確実にありました。そのうちの一つの可能性がいま大きく生きていて、もう一方の可能性が抑圧される構造になっている。言い換えれば、近代への歴史というのは、キリストの死の衝撃を馴致する過程だったとも言える。『〈世界史〉の哲学』は、そのことを何度も証明してみようという試みに実はなっているんです。その抑圧された「キリストの死」のほうに、「ありえた可能性」があるのです。

 鹿島 ベンヤミンは、普通の人には出来事の連鎖に思えるものが、歴史の天使には瓦礫の山に見えると書いていて(「歴史の概念について」)、大澤さんもそこから歴史を見る方法的基礎を引き出しています。問題は、その「瓦礫の山」にどのようにアプローチするかです。それについて大澤さんの『〈世界史〉の哲学』では、そのつど謎を掘り起こし、発見しながら別の世界史の語りを立ち上げようとしていると感じられてしまうんです。

 これに対してぼくのほうはといえば、瓦礫の山にあるのは瓦礫だろう、と。そのなかにある特定の瓦礫とこの自分が、時間を隔てて結びつく。例えばベンヤミンが呼び戻した瓦礫の一つは、革命家ブランキの生き方だったでしょう。支配者の正史によって隠蔽されてしまうそうした瓦礫を現在に呼び戻すことによって、自分の生のあり方が、状況への関わり方が変容する。そのような仕方で過去と関わりたいとぼくは思っています。

 大澤さんによる資本主義のアルケオロジーから、ぼくも多くを学ばせてもらっていますが、しかし有限な生を生きるぼくらがどのように過去に関わったらいいのかは、問題として残ると思うわけです。ぼくは、自分が衝撃を受ける「これ」という出来事によって、自分自身が変わり、自分の状況が変わる何かを見出したいのです。例えばイエス――大澤さんはキリストと言いますが――についてですが、マルコによる福音書を読んで思うのは、イエスは当時のユダヤ教のコミュニティのなかで疎外され排除されていた人々――徴税人、娼婦、病人――のところに出かけていって、「きみらこそ救われるんだ」と言った。この事蹟には打たれるところがあります。『危機における歴史の思考』でも少し触れた、日本社会が陰に陽に抱え込んでいる「差別」の現実にどう関わったらいいのかという問題を LEONIS VT/レオニスVT スズキ MRワゴン MF33S アルミホイール 1本 【16×5.0J 4-100 INSET45 PBMC】、キャッチボールのようにイエスから受け取っているつもりなのです。つまりはイエスの「死」よりも「生」、ということになるかもしれません。

 大澤 キリストははっきり言えば革命家です。ブッダとキリストを比べてみると、どちらも人類史に決定的な影響を与えた思想家・実践家ですが、キリストは、現実の苦しみにどう対応するかというときに、問題が起きている現場に行くという作戦ですね。ブッダはそこからいかに距離を取れるか、そこからどう脱出するかと。そのどちらがいいかはわかりませんが、ぼくはキリストのやり方に共感します。

 ところで、キリストの死という出来事が大きいのは、客観的に見てその出来事が大きいからではなくて、その受け取り方によってです。「一人のユダヤ教の預言者が死んだ」と言うと、ちょっと小さくなってしまうけど、「神が死んだ」と言うと、決定的に大きくなる。そういう意味ではパウロの存在が重要です。パウロはその場に立ち会っていませんでしたが、その受け取り方の重要性は理解していたわけです。つまりキリストがいてパウロがいて初めてキリスト教が成り立つという構造ですね。

民衆的なポピュリズムと「新しいアナキズム」との交錯

――現状認識の先に未来を浮かび上がらせようとする政治学
評者:大井赤亥

 木下政治学の特徴

 木下ちがやは、国会前をはじめとする二〇一一年以降の日本の社会運動のハブ的存在であり、その論争的個性を好むと好まざると、ハブに集積される情報を求めてその発信を追わざるをえない論者の一人といえよう。

 木下の政治学の特徴は、グラムシやラクラウなど「ポスト・マルクス主義」の理論的道具を援用して日本政治を捉える点にあり、本書は、民主党政権からトランプ当選にいたる時期に木下が主として『現代思想』に発表した論考をまとめたものである。

 三・一一以後の
 社会運動と
 ポピュリズム

 本書を貫く表のテーマはポピュリズムであり、三・一一以後の日本の社会運動を「新たな政治的陣地の構築に挑むポピュリズム運動の一類型」と捉えるところに最大の主張がある。

 昨今盛んなポピュリズムの趨勢には、本書も指摘するように 【メーカー在庫あり】 三菱日立ツール(株) 日立ツール メガフィード ボールE EMBPE3010-30-09-ATH EMBPE3010-30-09-ATH HD、発生条件をめぐる共通性と現状打開の方向性をめぐる差異性とがある。

 二〇〇〇年代以降の先進工業国における政治の流動化は、労働市場の柔軟化 RPM バンディット400 マフラー DUAL (デュアル) バンディット BANDIT400 (89-94) RPM 4023、アンダークラスの形成、中間団体やコミュニティの崩壊といった同様の社会的経済的条件に起因している。そこから生じるポピュリズム政治の圧力は、統治から排除された多様な人々を「われわれ」として括り直し、対立線を大胆に引き直して「調整に基づく政治」を突き上げてきた。すなわちポピュリズムとは、それまでの統合の崩壊に際して生じるという意味で「統治性の危機」(土佐弘之)であり、また次の統治性を模索するための陣痛という意味で「硬直した古いシステムからの脱却の兆し」(木下)でもあろう。

 しかしポピュリズムは、その条件をいかに克服するかという処方箋の展望において明確に差異がある。「右でも左でもなく」を前提とするポストモダン的認識の延長上にポピュリズムを捉え、それを「左右横断的な政治現象」とのみ位置づけその新味を味わう向きを拒否する点で、本書の立場は明確といえよう。オキュパイと茶会とを 【メーカー在庫あり】 ホンダ純正 カバー ASSY シリンダーヘッド 12310-MFL-010 JP店、サンダースとトランプとを、ルペンとメランションとをポピュリズムというだけで同一に括ることは無理であり、むしろその括りが不可視化させるある種の階級性に敏感たるべきであろう。

 そのようなポピュリズム政治の日本における本格的展開にあたり、小泉郵政選挙を通じて日本の有権者が「粘土から砂になった」と述べた中曽根康弘の言葉は至言だろう(本書三〇頁)。これまで圧力団体によって固められてきた有権者が砂粒化するなかで、小泉は「抵抗勢力」との敵対性を演出し、有権者は団体に媒介されずに直接にカリスマ政治家と結びついた。

 このような政治手法は、民主党政権交代以後、関西に移行して橋下維新に引き継がれる。以降の日本政治は、選挙の度にハリボテの意匠をこしらえては 、刹那的に砂を束ね上げようとするポピュリズム政治が跋扈するようになった。

 他方、木下によれば、三・一一を契機として生じた社会運動をもまた、震災という集団的経験に支えられた「われわれ」の同一性を創出し、敵対性を資源としながら権力と対峙するという点で、民衆的なポピュリズムの性格を色濃く持っている。かねてからムフにならって日本における「政治的なもの」の復権を模索してきた木下は、脱原発運動に「もう一つのポピュリズム」像を見出しており、二〇一〇年代当初は橋下政治と反原発運動をはじめとする社会運動の「二つのポピュリズム」が競合した時間であった。

 このような民衆的なポピュリズムの圧力は、諸勢力の「節合」を通じて敵対性を再編成し、新たな対抗的政治ブロックを作り出してきた。本書はその萌芽として、保革を横断した「オール沖縄」や自共が連携した「オール大阪」を挙げているが、国政レベルでは野党共闘がそれにあたるといえよう。

 ポピュリズムと
「新しいアナキズム」

 ポピュリズムが本書の表のテーマとすれば、裏の主旋律はアナキズムであろう。

 木下によれば、冷戦終焉から三〇年間にわたり、ソ連やマルクス主義は権威を失墜し、労働組合運動は衰退し SAMCO SPORT サムコスポーツ ラジエーター関連部品 クーラントホース(ラジエーターホース) カラー:ブルー Z750 07-12 Z750 R 07-12、左翼思想は現実との関連を失って大学に閉塞していった。その結果、支配的権力に対抗する運動や言論の領域に広大な空白地帯が出現し、近年、欧州においてこの空白を埋めたのは多かれ少なかれ右翼ポピュリズムであった。

 しかし二〇一一年以降、オキュパイ、紫陽花革命、日本でも脱原発など社会運動の再興が生じ、これらの運動はかつて左翼陣営が領有していた空白地帯に再び闖入してきた。そして、古いマルクス主義の資源がすでに枯渇している状況にあって、これらの運動の実践理論となったのが「新しいアナキズム」であった。すなわち、アナキズムの原初に含まれていた自治や共同、民衆性といった理念が、「権威主義に対抗して民主主義を希求するプロジェクト総体をあらわすもの」として再登場し、一九六〇年代の社会運動においてマルクス主義が占めていた地位を受け継いだのである。

 とはいえ注意を要するのは、新たに復興したアナキズムとは、個人の解放を至上価値とするアナキズムではなく、「国家とは異なる自律的空間を下から創成していくための実践的作法」としてのそれだということである。

 元来、「新しいアナキズム」を打ち出したのは米国の人類学者D・グレーバーであった。グレーバーは、シアトル以降のグローバル正義運動への参画を通じて、アナキズムの伝統における「自発的連合」や「自己組織化」といった手法を掘り起こしつつ、集団形成の技法として「新しいアナキズム」を再定義していった。すなわちグレーバーや木下が提起する「新しいアナキズム」とは、新自由主義グローバリズムの席巻によって社会的紐帯が弛緩していったなかで、再び雑種混交な主体が集団形成するための、方法としてのアナキズムなのである。

 そして木下によれば、三・一一以後の日本の社会運動もまた、非正規や知的不安定層など多様な担い手が、水平的な方法で自己組織化し、敵対性を自覚化しながら、伝統的保革がいずれもヘゲモニーを失った政治の空白地帯に進入していったという点で、「新しいアナキズム」を示すものであった。

 二一世紀の社会運動の実践理論として「新しいアナキズム」が導かれる必然性はよく理解できる。しかし、ここで疑問がないわけではない。たとえば、本書が唱える「新しいアナキズム」は端的にいって「非権威的な集団形成の方法」だといえる。しかし、本書も認めるように、アナキズムには「絶対的な個人の解放以外のあらゆるものを拒絶する超個人主義」があり、それはアナキズムのいわば「リバタリアン的側面」を構成している。そして、このようなアナキズムの「超個人主義」は、本書の表のテーマであるポピュリズムと、おそらく深刻な緊張関係にあるのではないだろうか。ポピュリズムの機能は「人民」の同一性を再構築し、運動はそれをもって一丸となって敵にぶつかる。しかし他方で、アナキズムの「超個人主義」はいかなる集合的アイデンティティをも拒否するだろうからである。

 「予見的政治」
 にむけて

 とはいえ、このような疑問は本書に対する評者の共感をいささかも損なうものではない。最後に、これからの対抗的政治の方向性をめぐる論点を共有しておきたい。

 木下は、本紙上での西谷修との対談(三三一二号)で、トランプ当選直後の米国で生じたウイメンズ・マーチに触れながら、排外主義に反対するこれらの世論の中心は若者であり、彼らは新自由主義に違和感を持ちつつ、他方でグローバル化された世界を元に戻したくないとも思っており、「こうした声をどのように公的政治空間に反映させるかが、いまの最大の課題」と指摘しているが、評者も同感である。

 評者自身は「公正で持続可能なグローバル秩序」という理念に可能性を見いだしているが、いずれにせよ、新自由主義からの脱却を模索しつつ、保護主義や排外主義への回帰もしぶとく斥けながら、グローバル化された世界を自分たちの思い描くようにデッサンしようとする意志と戦略が問われるだろう。

 グレーバーは新著『負債論』のなかで、政治に対するわれわれの想像力が縮小され続けてきた近年の趨勢に抗い、未来の可能性を開き、引き寄せるような視座を「予見的政治(visionary politics)」と表現している。本書が見据えているものもまた、現状認識の先に未来を浮かび上がらせようとする、そのような政治学であろう。

 (政治学)

路地なき後の世界の現代性を示す

――中上紀のひとつの到達点であり、 男たちの物語を遠心化する女たちの物語を孕む
評者:渡邊英理

 父が没後二十五年を迎える今年、娘は、他界した時の父と同じ年齢になった。娘は父の物語に正面から挑み、鮮やかに乗り越えながら、同時に一個の完結した独自の世界を創造した。小説『天狗の回路』である。作家自身も自負するように中上紀のひとつの到達点を示す、この小説が紡ぐのは「彼女たち」の物語だ。

 父の「田舎」熊野で過ごす夏、那智勝浦にある別荘のマンションに滞在していた作家の「私」、綾は一葉の写真をSNSに投稿する。そこに届いたのは小説家だった父の異母妹の娘、美貴からのメッセージだ。現代では比較的ありふれているかもしれない、こうしたネット上での「再会」が不意打ち性を帯びるのは、「いま・ここ」に過去を闖入させる回路を持ち得たときである。この小説におけるその過去とは、綾と美貴、二人の祖母たちの物語である。血縁上は従姉妹に当たる美貴は「小説」のような話を綾に送ってくるようになる。それは、「親戚の誰彼から聞いたこととも、父が小説に書いたこととも、異なる話」であった。

 三人の女を同時に孕ませ獄に繋がれた荒くれ者の父と、複雑な血縁の中で愛憎の泉を抱え成長する息子。中上健次の紀州サーガは、この父息子の物語に貫かれている。『天狗の回路』は、この男たちの物語を遠心化する女たちの物語を孕む。とりわけ女の物語を語る権能を美貴に与える点には、「女の声」を回復させる小説の意思が感じられる。「これは母が祖母から聞いた話を、さらに私が母から聞いた話です」。祖母から母へ、そして娘へ、口伝えされた物語のなかで女は声を得、自らを語りはじめる。

 祖母たち、すなわち祖父が孕ませた三人の女たちは戦後の熊野で路地的共同体を生きている。一方、綾は父の故郷熊野から五百キロ離れた現代の東京で暮らしている。夫は南アジア出身で、生活のあらゆる面を姉さん女房の綾に頼りきりである。二人の息子を抱えた綾は、家庭の些事に日々ひとりで苦闘している。祖父零次郎も、綾の夫も、男たちは家庭を顧みず家族を養う「責任」から逃走しつづける。過去の祖母の物語は、そのまま現在の綾の物語だ。「養のてくれもせんのに父やんと違う」と唇を噛む「彼女たち」の物語は、時間も場所も超えて反復される。それは、綾の外国籍の夫が、中上健次が描いた祖父ら、被差別を生きる男たちと構造上で相似の位置にあることの裏返しでもある。

 綾において、美貴とのSNSでのやりとりがネット上の「国際結婚をしている日本人妻たちが作っている掲示板」でのモモとの交流に重なるのは、それゆえである。綾が、モモの歯切れの良い関西弁で書かれた「投稿」に自らを投影し、匿名で不特定多数の読者に投げかけた綾の夫に関する不満と悩みは、美貴が綴る私的な祖母の物語とかけ離れたものではない。しかし、かつて路地の井戸端にあった濃密な「噂話」の世界が、「スクリーンの向こうで生きている」「姿」の見えない誰かを相手とする仮想世界で成り立つ点で、この小説は、路地なき後の世界の現代性を示している。熊野の広大な風土でねっとりと絡み合う男女に代わって、土を入れた狭い水槽の中の甲虫が交尾をする。捕獲したばかりの頃は「雌を見るとすぐにとびかかる」雄の甲虫は、「ギイギイと音を立てながら黒々とした身体の色には不釣り合いな白さの生殖器を突き立てて雌を犯す」。しかし、「飼育し始めてしばらくすると、雄はおとなしくな」り交尾をしなくなる。はじめて男と交わった頃の、美貴の祖母の上気した瑞々しい肌を遠く離れて、性愛は赤裸々にグロテスク化する。家族の不在時に飼猫に甲虫をなぶり殺しにさせようとする綾の未必の故意は、家庭を顧みることも、妻を女として扱うこともしなくなった夫と、まるで嘘のような、この卑小な「現実」に対する否認に由来するものだろう。その故意が宿るとき、那智勝浦のマンションから見えた対岸のモーテルのネオンの光は消え、それに隠れていた蛍のように散らばる民家の灯が綾を捉える。けばけばしいモーテルのネオンの瞬きは、「スクリーンの画面」であり、かつて甘美なものであったがゆえに忌々しい男女の睦みあいであり、

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、仮想世界と恋愛の「幻想」の果てには「日常」と「生活」が残る。その輝きは、か細く長い。

 中上紀の作家的系譜において、『天狗の回路』は小説「電話」の後継とも位置付けられる。今年の四月、アイオワ大学International Writing Program(IWP)50周年記念の催し「A Half Century Of Japanese Writers in Iowa」に参加した中上紀は、「電話」の英訳(ケンダル・ハイツマン訳)を朗読している。同会に参加した評者は、それを聴く機会を得たが、英語版“The Phone Call"はアジアの文学サイト“Cha"にて読むことができる。小説家である父から娘への突然の国際電話をめぐる顛末を描くこの小説で、やがて末期の癌で死を迎える父を看病する母に、父は「母親さながらの姿」を見いだし、「妻が、男の最後に母に成りうるのであれば、娘は、何になるのだろう」と娘は問う。『天狗の回路』では、妻を「母」とする夫=「父」のファンタジーには斜め線が引かれている。妻であり母である女を見つめる男の視線は、いま、娘に見つめ返される。そこには少女時代の父とのフィリピンへの旅をきっかけに書くことの原点にアジアを抱えた、

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、この作家ならではのアジアへの眼差しもある。

 (静岡大学准教授/近現代日本語文学)

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